仕事か子育てかで悩んでいると、ほかの素晴らしい選択肢を見過ごしがちです。親になると自分のしたいことを諦めなければならないのでしょうか?留学を選んだOliveに広がった新しい世界!


30歳は人生でもっとも多忙で、心に葛藤を抱える年齢です。仕事・結婚・出産の責任やプレッシャーがだんだん増えて来て、取捨選択や、優先順位をどう決めればいいのか、むずかしいところです。

巡り合うチャンスや負うべき責任が多い年齢ですが、経験と能力は逆に不足しているため、とりあえずやってみて、実践の中で学ぶしかありません。向上心が強く、勤勉でポジティブな人の場合、能力が追い付いてくるとプレッシャーも減り、人生がゆっくりと上向きになり、佳境に入っていきます。逆に、逃げ癖がありいい加減で、ものごとに積極的に向き合おうとしない人は、最終的に何も成し遂げられずに終わりがちです。50歳頃に、人生の勝ち負けがはっきりするでしょう。

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30歳だったあの年、私は結婚して間もなくして1人目の子どもを産み、仕事の取捨選択と子育て時間の確保が両立できないという問題に直面していました。夫も私も家庭の責任を背負い始め、収入とキャリアアップを実現するための大事な時期でした。しかし、ちょうどその頃、仕事に倦怠感を覚えた私に、留学のチャンスが訪れました。当時としては斬新な、経営幹部向けのプログラムで、1年で2か月だけ海外に出て、夏季休暇と冬期休暇の各1か月、集中的に単位を修得すれば学位が取れるというものでした。私は葛藤に苛まれていました。

海外留学は私の昔からの夢でしたが、いくつかの難題に直面しました。1つ目は、上司にどのように話を持ち掛ければ、毎年2か月の休暇をもらえるのか。2つ目は、資金をどこから調達するのか。3つ目は、まだ1歳の子どもを誰が世話をするのかということでした。人生に完璧な答えはなく、その時に実行しなければ、これから先、実行する勇気が出ないかもしれない。それを知っていた私は、どんな困難が待ち受けていたとしても、私の夢を叶えることに決めました。

1つ目の難題については、思い切って上司に相談してみました。こういう前例がなく、休職扱いにするのであれば、慣例を破ることになるため、上司はとても難しい顔をしました。私は上司に、もし難しいようなら辞表を出す気もあると伝えました。物怖じせずに突き進む勇気は、今振り返っても驚愕ものです。最終的に会社は例外として私の籍を残してくれました。2つ目の難題は資金でした。前職の企業の株を全て売り払い、学費と生活費に充てることにしました。その時、友人や同僚は皆、私をバカだと言っていました。株で儲けたお金を不動産に投資すれば、儲かるからです。

しかし私は、とにかく海外で勉強したい一心でした。一家の財産が底をついても惜しくはありませんでした。私の決心がどれほどのものだったかが見て取れると思います。3つ目の難題は、子どもの問題を解決することでした。幸い、私の母が最良の後ろ盾となり、孫の面倒を一手に引き受けてくれました。子どものそばにいない間の焦る気持ちも、少し和らげることができました。

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留学で大きな犠牲を払い、夫と共に海外で学び、夢を叶えました。貯金は全て使い果たしましたが、今思い返しても全く後悔していません。不動産で儲けるチャンスを逃したかもしれないし、自分勝手な母親だと責められるかもしれません。ですが、私は自分が何をしたいのか、はっきりしていたし、自分に投資するのが一番割に合うと知っていました。夢を現実にしてから、私の視野は広がり、人脈も増え、自信もつきました。これらは形のないものかもしれないですが、人生後半の展開は、全てあの時の勇敢な決断によるものです。勇気を出して責任をもった経験から、やる気になれば私は勇敢で、冒険家で、責任をもてて、自分らしく生きられる人間であるという確証が得られました。一歩を踏み出しさえすれば、周りの人々はあなたを助けてくれるものです。

30歳の自分に会えたら、「いいね」と褒めてあげたいです!